明治31年7月16日に施行された旧民法における「家制度」は、明治期から第二次世界大戦敗戦まで続いた日本の“家族”の在り方を規定する概念でした。
ここでは、「家制度」における家の構成員と家のライフサイクル(設立・変動・消滅)について解説します。
旧民法における「家制度」
「家制度」は、戸籍簿上で登録された親族の団体を指す日本独特の制度でした。
この「家」は、戸主と家族で構成され、戸主は「家の家長、当主としての身分」を持ち、家族に対して広範な支配権限を有していました。例えば、戸主は家族に対して「勘当」による離籍をすることも可能でした。その一方で、戸主には家族を扶養する義務が課せられていました。
「家」は国家統制の最小単位として位置づけられ、「家制度」は国民を効率的に掌握する仕組みと捉えることができます。「家」を守る(存続する)ことが重要視されたため、家督相続や養子等に関する規定ではそれを目的とした措置がされました。現在の企業における「ゴーイングコンサーン」と照らし合わせることもできるように思います。
「家」の構成員
戸主
戸主は、「家」を統率する者(家長)となりました。
現在の戸籍における戸籍筆頭者と同じように戸籍の筆頭に記載されるものの、戸籍筆頭者とは大きく異なり、強大な権限(および義務)を持っていました。
戸主の地位に基づく権利義務の総称のことを戸主権と言い、家族の婚姻・養子縁組に対する同意権、家族の居所指定権などの権限を有していました。
家族
家族は、「家」を構成する戸主以外の者を指し、原則として戸主と同じ「家」に属する親族とその配偶者でした。なお、明治期には血縁上のつながりに限らず、他人が含まれることもありました。
家族は、戸主から扶養を受け、財産を所有する権利を持つと共に、戸主に服従する義務を負っていました。
「家」のライフサイクル
「家」の設立・変動
「家」の設立には、①分家、②廃絶家再興、③一家創立がありました。
①分家
「家」の家族の者が、戸主の同意の上で、その「家」から分かれて、同じ氏の家を設立するものです。
分家に伴って新しい分家の戸籍が作成され、分家をした旧家族の者がその新しい家の戸主になりました。
なお、戸主である者は分家をすることはできず、隠居した上で家族の身分になってから分家をすることであれば認められました。
②廃絶家再興(はいぜつけさいこう)
廃家または絶家によって消滅した「家」を、一定の親族関係にある者が戸主となり再興するものです。
廃絶家再興では、廃絶家の氏を称することができるようになるものの、財産等を承継する訳ではないので、実質的意義はなかったと考えられます。
③一家創立(いっかそうりつ)
戸主となる者の意思に関わらず、法律の規定に基づき当然に「家」が設立されるものです。
例えば、子の父母が共に不明の場合、非嫡出子が父または母の家に入ることができない場合、家族の者が離籍された場合などが該当しました。
「家」の消滅
「家」の消滅には、①廃家、②絶家がありました。
①廃家(はいか)
戸主の意思により、他家に入ることで「家」を消滅させるものです。
婚姻や養子縁組等により他家に入ることを想定していたものですが、廃家により戸主権を除くその他の権利義務は廃家した者に帰属しました。
②絶家(ぜっけ)
戸主の死亡により家督相続が発生したが、家督相続人がいない(不存在である)ため、家が消滅するものです。
絶家は戸主の意思によらない消滅(自然的消滅)であり、いわゆる家が断絶するという意味合いになります。
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なか司法書士事務所
司法書士 中 英康
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